日曜日は仕事なので、昨日の休みに、選挙の期日前投票にいってきました。
選挙にいこう!
というメッセージをよく目にするようになりました。
しかし選挙のたびに発表される投票率はずっと低いまま。
たぶんですが、
「選挙に1回もいったことがない」
という人は少ないと思っていて、
それよりは、
「選挙にいったことはあるけど、別に何も変わらないから」
という理由でいかなくなる人が多くなるんじゃないかと思っています。
結局、誰がやったってそんなに変わらない。
ただそれでも選挙にいく意味というのはあると思っていて。
それはどの党が勝つかはあまり問題ではなく(いやそれも大事なんですが)、それよりは「投票にいった」という行動が大事なんです。
というのも、選挙のシステムから考えると『誰がどの党に入れたのか』は調べられません。
しかし、投票にいった人がどんな人かは完璧にデータ化できます。
僕なんかは『40代男性』という1データです。
たぶんなんですけど、政治が大事にしている数字ってこれだと思うんですよね。
どの年代、どの性別の人がどれくらい投票にきているのか。
そのデータをもとに、政策を打ち出す。
いくら少子高齢化で高齢者の数が多いといっても、病気などで投票にいけなかったとして。
そのときに40代女性の投票が高齢者のそれよりも多かったとしたら。
人口的には少なくても、40代女性のための政策を打ち出すと思うんです。
だから「どの党」に入れるかよりも、
「選挙通知を投票用紙に交換する」というのが一番大事。
僕はそう考えています。
しかしです。
この少子高齢化。いびつな人口構造。
高齢者が多いこの国では、どうしてもその層に向けた政策になってしまいがちです。
僕はこれを「年代別の一票の格差」だと思っているんです。
若い世代がどれだけ投票にいっても絶対的な人口の差があります。
その一票は政党の選択には反映されても、本当に望んでいる『政策』には反映されない。
だから選挙にいっても何も変わらないと思ってしまう。
地域による一票の格差は違憲、という判決もでてるのに、この「年代別の一票の格差」はなぜ議論されないのか。
結局、人口ボリュームが大きい層に向けた政策しかおこなわれないので日本はここ30年間なにも変わらず、高齢者とともにゆるやかにに衰退していっているんです。
たぶんね。
#知らんけど