盲学校に入学して治療家としての人生がスタートしました。

そんな僕の話しを父が知人にしたところ、ひとりの鍼灸師の方を紹介してくれました。
 

その方は所属している鍼灸の勉強会に誘ってくれました。

その頃の僕は業界のことなんて全く知らなかったので、とにかく積極的になんでも吸収していくつもりで参加させてもらいました。
 

鍼灸の勉強会

その勉強会は『一日に50人以上の患者さんを診る』という凄い先生を師事するグループでした。

そんな凄い先生がいるのか!

そしてこんなにも多くの人がその先生に教えを請うために集まっている。
 

ここで勉強していけば間違いないだろう。

全く何も知らない僕には、その頃は善し悪しをそのくらいのことでしか判断できませんでした。
 

在学中から3年以上、みっちりと勉強しました。

しかし次第に違和感を覚えるようになっていきました。
 

いまならその違和感がなんであるのかははっきりとわかります。

しかし当時はモヤモヤしつつもあまり深く考えないようにして勉強していました。
 

治らない、治せない

当時の僕は20代前半。

目の病気以外は何も悪いところがなく健康そのもの。
 

体力・気力にあふれています。

徹夜しても大丈夫だし、疲れも一晩寝ればスッキリ回復。
 

そんな健康な20代にとっては、治療の効果を実感することができません。

だってどこも悪くないんだもん。
 

治療を勉強して、勉強会の仲間内で治療しあったり、練習で身内(特に親)に治療していました。

しかしこれも何か手応えを感じないんです。
 

これが違和感のはじまりでした。
 

そもそも理論に納得できていない

基礎の理論に納得できていなかった。

いまだからわかることなんですが、当時の違和感の元はこれにつきます。
 

というのも、その勉強していた鍼灸治療とは『気』の調整をするというものだったのです。
 

『気』が見える、なんて人もいます。

気の存在も、見えるという人も、それ自体は否定しません。
 

見える人がいるならそれは在るんだろうし、その人には間違いなく見えているんでしょう。
 

でも僕は見えない。

存在を否定することはしないけど、僕には認識することも扱うことはできないんです。
 

認識することもできないものが理論のど真ん中にある。

そんな状態では人を治すなんてことはできるわけがありません。
 

息苦しくなってきた

当たり前ではあるのですが教えを請う以上『師匠は絶対』です。

ここが納得できないならそこに居るべきではありません。
 

でも違和感に悩んでいる僕は、『そこは触れてはいけない』そんな質問をしたりします。

組織にとっては問題児になりつつありました。
 

そんな状況にどんどん息苦しくなりついに辞めることになりました。

 

 

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