それから僕のベーチェット病と病院との長い付き合いが始まりました。
 

それまでの僕はいたって健康そのもので、病院には一度もかかったことがなかったのが自慢でした。

父が薬嫌いだったので、少々の風邪なんかはいつも自力で治させられていたんです。
 

しかし、総合病院というところはとにかくいつも混んでいるんですね。

よくもまぁこんなに体調の悪い人がいるものだと感心し、呆れるくらい混んでいます。
 

そんな人混みをみていつも思ってました。

こんなに沢山の病人がいるけど、失明するような病気の奴は僕だけだろうな・・・
 

そんな風に、自分が世の中で一番不幸な人間なんだと感じながら日々を送り、通院を続けていたのです。

 

ある日ちょっとした検査があり、その為に用意された部屋で僕は椅子に腰掛け順番を待っていたのですが、その部屋のベットの上で老人が横になっているのに気が付きました。
 

その老人は鼻に酸素を送る為の管を付け、細い腕には点滴の管が繋がれ、虚ろな目で天井を見上げて、口をパクパクさせていたのです。
 

意識はあるのかな?

でも今はこんな体になっているけど、この人のこれまでの人生はずっと(目が)見えていたんだよな・・・
 

あの老人がそのとき何を考えていたのか、僕には知るよしもありません。

ただ僕はこの人よりも不幸なんだと、その光景を目にしながらぼんやりと考えていました。
 

考えながらふと思いました。
 

僕は他人のことはどうだっていいと思っている。

自分のことしか考えていないって。
 

そしてハッとしました。
 

この老人だって、僕の目のことなんかどうでもいいと思っているかもしれない。

いや、この老人だけじゃない。

主治医の先生だって僕がどうなったところで知ったことではない。
 

僕の目のことなんか、僕以外の人にとってはどうでもいいことなんじゃないか?
 

失明したら……

いや、たとえ死んでしまったところで世の中には何の影響も与えないんじゃないか?

影響なんてあるわけがない、何も変わらず今日と同じ明日が繰り返される。

僕はその程度の人間だ。

僕の今までの人生はその程度のものだった。
 

一人で勝手に悲劇のヒーローを気取っていただけ。
 

でも、もし本当に死んだらどうなる?

世の中に影響を与えることはなくても身内は違う。
 

特に両親。
 

自分たちの息子が病気によって失明する。

この病気は遺伝性はないけど、そのような体に生んでしまった自分たちに責任がある。そう考えないか?
 

僕が親だったらそう思う。

そして、できるならば目を取り替えてやりたい、例え自分は見えなくても子供にだけはそんなことになってほしくないと考えると思う。
 

人はいつかは死ぬ。

これは避けようがない。
 

両親が亡くなるその時に、僕が自立していなければどうなる?
 

僕の行く末を心配しつつ、何もしてやれなかった無念の思いで死んでいく。

絶対にこんな辛い死に方をさせてはいけない。
 

僕は自分の力で生きていけることを見せてやり、安心させてやらなければならない。

 

そうだよ。兄弟だっている。
 

僕は4人兄弟の長男で、弟が2人と妹が1人います。

4人とも同じ両親から生まれているのだから誰に発病してもおかしくはなかったはずです。

もし僕以外の誰かに発病していたら……
 

よく「できることなら代わってやりたい」なんて言ったりします。

でも、実際に代わってやることは絶対にできないんですよね。
 

でもでも。

僕は結果的に弟や妹に発病するはずだった病気を代わってやることができたとも考えられます。
 

弟や妹のことを考えたとき、僕が病気になって良かったと本気で思えました。
 

生きていくために

ここからスイッチが入りました。
 

失明するかもしれないことはよくわかった。

ならば何ができる?
 

将来見えなくなってからも続けられる仕事を、まだ見えている間に身につけなければならない。

調べてみると、視覚障害者のほとんどが鍼灸やマッサージなどで生計を立てているということが分かりました。

そして、盲学校で国家資格を取るための教育、実技訓練をしてくれるということも。
 

その仕事は自分に合っているのか?

収入はいくらぐらいになる?

そんなことはどうでもよかった。
 

生きていくために僕は迷うことなく、この道を選びました。

 

 

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