ウチの2人の子供たちは、それぞれ小6と小2。

まだサンタを信じているのかどうか、その真意は確かめたことはない。

来年は中学生になる長男がまだ純粋にサンタを信じていたらそれはそれで複雑ではある。
 

子供たちのクリスマスプレゼントの希望は「ニンテンドーSwitch」という現代のファミコン。それ一択。

特に次男が欲しがって欲しがって。

でも自分が小学生だった頃を思い出すと、もうその気持ちが分かりすぎて。
 

僕も小2のクリスマスプレゼントにファミコンを買ってもらった。

でもやりすぎて、すぐに父親に取りあげられた。それっきり我が家にはファミコンは無くなった。

それでもやりたくてやりたくて。小学生のあいだ、ずっといろんな友達の家で遊ばせてもらっていた。

友達と遊んでいるというよりも、ファミコンで遊ぶためにその友達の家に行っているような感じだった。
 

それってどうなのかと思うけど、次男がそんな僕の子供の頃とそっくりで。

そういう時分って、一泊二日の旅行に連れていってもらうよりも、ずっと手元に残るファミコンのほうが嬉しい。

子供ではおいそれと買えないものを買ってもらって所有したときの幸福感といったらない。
 

その幸福感を想像すると、いま自分の子供にそんな幸福感を与えてあげられるなら。しかもそれもこの小学生の時期だけのことであるなら。

買わないわけにはいかなくなりまして。
 

まあ奥さんは反対派ではあるのですが、なんとか僕が説得しまして。

そして子供たちに聞きました。

どうしてもサンタさんに持ってきてもらいたいなら25日の朝まで待つ。

でもサンタさんが仕事大変だから、かわりにやってくれてもいいと頼まれてるからクリスマスはまだ先だけど、先に買ってもいいよ。と。
 

そうしてヨドバシカメラ吉祥寺にて、サンタさんから預かっていたお金でSwitchを購入することに。

嬉しそうに抱えて、家まで帰るその歩くスピードの速いこと。競歩か。
 

奥さんに怒られないよう、宿題とかやるべきことは絶対におろそかにしないことを徹底させます。

この幸せはすぐ取りあげられるからね(笑)

 

ゲーム=悪?

ゲームは悪いもの、っていうイメージがあります。

モンスターを倒したりするので命を軽くみるようになるとか、やりすぎて依存症になるとか。
 

確かにそういう一面はあると思います。

しかしそこまでゲームをやりたいと思うにはそれなりに理由がありまして。
 

僕も当時はそんなこと分からず、たたただゲームを楽しんでいました。

でもいまなら何にそこまで魅了されていたのかが分かります。
 

課題をクリアする快感。

これにつきます。
 

ゲームにもいろいろあります。

マリオのようなアクションゲーム。ドラクエのようなRPG。

タイプは違えど、反射神経や推理力をもって与えられた課題をクリアしていく。

大の大人がよってたかって作り上げたそのゲーム(課題)は、それはそれはクリアする(解く)欲求をかき立てます。
 

そうですね。

こうして人が作ったものとばかり向き合うより、野山を駆け巡り、釣りをしたり海や川で泳いだり、自然と向き合って遊ぶ方が豊かな人格を構築できるかもしれません。
 

しかしこれ、どうでしょう。

ゲームは悪いものなのかもしれませんが、じゃあ勉強は?
 

受験なんてまさに「人が作った課題」を「解く」ことです。

出題者が欲しい答えを汲み取り、解答する。
 

ゲームをクリアするのと本質的にはなんら変わりない。

これを知っていたら、僕も受験を頑張ったかもしれません。

 

それよりもないよりも。

子供が「やりたい!」と強く思うその気持ちを大事にしてあげたい。
 

やりたいことをやらせないで育った子供は、自分でやりたいことも見つけられない大人になる気がします。

そうやって育てたくせに、いざ就職など自分で決めないといけないときになって「やりたいことがわからない」という子供を責める資格はないし、そこから「やりたいこと」を見つけられるように育てるとか意味がわかりません。
 

たとえそれが「ゲーム」であろうが、好奇心の対象であるこに間違いはありません。

僕がそうだったように、ゲームはいつか飽きてきます。

あれだけ好きだったのに、高校生になったら全くやらなくなりましたもん。いまはスマホがあるからまた違うかもしれませんけど。

 

子供たちがゲームやりすぎて奥さんに怒られないように、上手く誘導してやりながら、やりたいことをとことんやらせてみようと思っています。

僕自身は、最近のゲームはもう高性能すぎて、動きが凄くて画面見てると気持ち悪くなってきて無理です。

囲碁がちょうど良いです。