解剖学をベースとした治療技術を磨いていく過程で身についた特殊能力的なものがあります。

それは『レントゲンのように透けてみえる』というものです。
 

これは別に超能力ではありません。

ただ身体のなかの映像が頭のなかでイメージできるというだけの話しです。
 

目が悪くなったことによる副産物

僕は目が悪くなりました。

しかしそれは悪いことばかりではなく、視覚以外の感覚が敏感になるという副産物がありました。
 

目が見えないぶん、音で状況を把握することが増えました。

そのため測ってはいませんが聴覚の機能は確実に上がっています。
 

味覚や嗅覚もさることながら、やはり一番のものは触覚。

手の感覚がものすごく鋭くなりました。
 

また、解剖学が学年トップの成績だったということはお伝えしました。

僕は身体の構造が完璧に頭に入っています。
 

感覚が鋭くなった手で触れたその患者さんの身体は、頭に刻み込まれた解剖学の知識とリンクして、僕の頭のなかではレントゲン写真のように映像化されて見えています。
 

それは音感の優れた音楽家の頭のなかでメロディが奏でられるように。

それは味覚の優れた料理人の頭のなかで食材や調味料が膳立てられるように。
 

得手不得手(えてふえて)

これは本当に超能力ではなく、ただ得意なことを利用した特殊能力的なものです。

どれだけがんばっても『気』が見えるようにはなりませんでしたが、身体のなかは見えるようになったという皮肉。

もしかしたら『気が見える』というのはこういうことを指しているのかもしれませんね。知らんけど。
 

とにもかくにも、僕は治療家として確たる自信を手に入れました。

お笑い芸人がたくさんの人を笑顔にするように、僕もこの特技で多くの人の悩みを解決して笑顔にすることができると思う。
 

目が悪くなったのには意味があったんだなぁ、と思えるような日が来たのはなんか出来過ぎでしょうか?
 

【続く】

 

【前のページ】自分が信じる治療を追求する