東京では連日3桁の新型コロナウイルス感染者がでて、まさに第2波が到来しています。

感染症としてではなく『現象』として。
 

新規患者に関する報告件数の推移(東京都ホームページ)

 

いま専門家はじめ、たくさんの人がコロナウイルスについて発信しています。

中には「第2波なんかない」と言っている専門家もいますね。
 

免疫学の権威が断言「コロナ第2波なんかない!」 集団免疫でしか終息しない

 

ただ、感染者数のグラフは確実に第2波を表しています。

現象としては。
 

いちいち現象、現象とうっとおしく言っているのは、検査の基準が第1波のときと全然違うからです。
 

感染拡大当初は、「37.5度以上の熱が4日以上続いてから受診する」というガイドラインが提示されていました。

医療崩壊(その前の検査受付崩壊か?)を避けるための基準です。
 

5・6月と感染者・重症者・死亡者数が減り続け、医療機関に余裕がでてきたということもあるでしょう。

検査キットが揃ってきたということもあるでしょう。
 

いまは無症状でも「陰性証明」のために手あたりしだいに検査をしています。

しかし報道では「感染者数●名」という検査で陽性だった人数の発表のみ。
 

たしかに感染者数は増えています。

しかし重症者数・死亡者数は「第2波」というような感じではありません。

(グラフはこちらからお借りしました)

 

このことから「感染者数が増えているのは検査数が増えたから」というだけのことだというのがわかります。

実際に病気が拡大しているとはいえないのです。
 

だから『現象』としての第2波なのです。

もはや誰かが意図的に『第2波』という現象を起こしているんじゃないかと勘ぐってしまうほどです。
 

でもテレビでは「感染者が増えている!大変だ!」というような不安をあおる報道ばかり。

再び緊急事態宣言もあるのでは?なんて言われています。
 

でも飲食店などは、このコロナ騒動で大きなダメージを受けています。

吉祥寺でも閉店したお店がいくつかあります。
 

いま感染対策のために一部の経済活動がストップしています。

そういう業種のことを「不要不急の業種」という人もいますが、とても乱暴だと思います。
 

みんな人生をかけてそれぞれの仕事に従事しているんです。

でもそれぞれの立場があり、それぞれの立場から言いたいことを言い合っているのが現状です。

ポジショントークで口喧嘩

感染症対策をどのように行うのか。

政府は専門家を集めた会議のすえ、緊急事態宣言で自粛要請をおこないました。
 

4・5月は本当に異様な雰囲気でした。

お店は閉まり、街から人が消えました。
 

みんな、1ヶ月がんばって自粛すればもとの生活に戻れると信じていたと思います。

でも自粛要請は5月に1ヶ月延長されました。
 

もとの生活に戻るどころか、志村けんさんや岡江久美子さんといった有名芸能人でコロナウイルスの犠牲となりました。

マスクや消毒液は手に入らない。もうパニック状態だと言ってもいいでしょう。
 

そしてそれぞれの立場の違いから、社会の分断が始まります。
 

収入が安定している層

年金生活者やテレワークが可能な会社員は、自粛することによる経済的な損失がありません。

このような人たちにとっては「コロナが根絶するまで自粛する」ということも可能です。
 

それならば徹底的に自粛して、一日でも早くコロナを根絶させてもとの生活に戻す。

これこそが経済的な損失も最小限に抑えられるベストな対策である、ということになります。
 

だから「PCR検査数を増やせ!」となるんですよね。

どんどん検査して感染者をあぶりだし、どんどん隔離すればいい。

普通に生活していいのは検査で陰性だったひとだけ。
 

理論上はそうなんです、理論上は。

そうやって一日でも早くコロナを根絶させるのがベストなんです。
 

いまのところ台湾ではそれができていますよね。

コロナ自粛で収入が減る、または無くなる人たち

ライブハウスでクラスターが発生し、ライブハウスは営業できなくなりエンターテイメント業界はいまも大打撃を受けています。

接待を伴う飲食店、通称「夜の街」が感染拡大の温床となっていますが、普通の居酒屋やカラオケ店も普通に営業できなくなってしまいました。
 

家賃など経費はそのままかかるのに、売り上げがなくなる。

これはもう悲惨です。
 

売り上げがあるから、家賃を払うことができて経営を回せるのです。

東京の飲食店の家賃が月100万以上なんてざらにあるのですが、これで売り上げがなくなるなんてやっていけるはずがありません。
 

緊急事態宣言も4月当初の「1ヶ月だけ」なら、みんな何とか頑張ろうと思いました。

でも1ヶ月延びました。
 

もう、やってられません。

解除はされたものの客足は戻らず、大手チェーン店でも大量に閉店しています。

ライブハウスの閉店もニュースになっています。
 

失業者が増えています。

こうして失業者が増えると自殺者が増えることが危惧されています。 

2月のダイヤモンドプリンセス号の騒動から半年ほどたち、新型コロナウイルスがどれくらいの脅威なのかがわかってきました。

日本においてはインフルエンザと同じくらいのものであるということが。
 

だから収入が減るひとたちは「コロナはただの風邪」なんていう言い方をする人もいます。

ただの風邪程度のもので経済を止めるべきではないと。
 

そんなことで失業者・自殺者を増やすなんて馬鹿げている。

だから感染予防は徹底しながら経済は回していくべきだと。
 

でもこれだと根絶することは難しくなります。

抑え込んで根絶するのがベストではありますが、それは理想であって、机上の空論である感はいなめません。
 

だから個人的は感染予防を徹底して経済を回すがベターだと思っています。

どっちつかずで最悪な方向へ

自粛派と経済優先派の言い分は相容れることはありません。

それぞれの立場から、正しいことを言い合っているので永遠に平行線です。
 

そして結果として、中途半端な自粛になってしまい抑え込むことはできていません。

感染拡大が収まっていないので、経済はもとに戻るこがなく引き続きダメージを負い続けています。
 

そんな状況で「GoToキャンペーン」が始まりました。

この政策についても批判の声は多いのですが、旅行業界もものすごく大変な状況です。
 

政府としても旅行業界に対して何もしないわけにはいきません。

きちんと抑え込んで、そのあとにキャンペーンとなるのが理想なのは誰でもわかります。

でも旅行業界もこれ以上待ってられないんです。
 

このような状況では感染は収まるわけがなく、拡大の一途です。

それぞれの立場への最善を尽くした結果、どっちつかずな最悪な方向へ進んでいます。

死生観のちがいによる口喧嘩

『死生観』。

結局は一番根っこの部分になると思っています。
 

「死」についてどのよう考えているのか。

人はいつか絶対に死ぬのですが、このコロナパニックで見えたものがあります。
 

1.いつか死ぬから、感染しても、それで死ぬことになっても致し方なし。

というような人と。
 

2.絶対に死にたくない。だから死ぬかもしれないコロナにも絶対に感染したくない。

というような人。
 

もうこのような死生観のちがった2人の言い争いは、もう絶対にわかりあえることはありません。

それこそ小さな宗教戦争です。
 

生物として一番根本的な死生観。

この価値観を他人が変えることなんて出来ませんし、それゆえ世の中がまとまることなんて不可能だと思います。

民衆が民衆を監視する社会

いま、とにかくみんなが恐れているのが「これ」ではないでしょうか。

感染したひとをあたかも犯罪者のようにあつかう社会。
 

マスクをしていない人や、公園で遊んでいる子供を注意したりする「自粛警察」と揶揄される人たち。

しばしば「正義の暴走」などと表現されています。
 

しかしこの自粛警察も実は『被害者』なんです。

本質的には、攻撃しているわけではなく、攻撃されたことに対しての正当防衛だったりします。
 

どういうことかといいますと、自分は感染を拡大させないために不要不急の外出はしない。

マスクもしっかりしている。
 

そうして感染防止に努めて安全を確保しているのに、それを守らないひとがいる。

それはすなわち自分の安全を侵害してきている。攻撃されていると感じるのです。
 

自粛警察は攻撃的に見えますが、実は先に攻撃されているからこそ、それに対して反発をしているだけなのです。

勝手な思い込み、といえばそれまでですが、決して他人を傷つけようとしているわけではなく、自分を守っているだけなのです。
 

村八分にすることも同様です。

とにかく自分が感染して犯罪者のように扱われたくない。
 

だからこそ、自分に感染が及ばないように感染者を遠ざけようと迫害する。

人間がもつ生存・安全の欲求。本能です。
 

けっして他人を攻撃したいわけではありません。

自分を守りたいだけなのです。
 

薬やワクチンが救世主の『薬信仰』

もうこの最悪なパニックな状況を救ってくれるのは「ワクチン」しかなさそうです。

治療薬が承認されれば多少は落ち着くかと思っていました。

しかし承認されても社会に対してまったく何の効果もありませんでした。
 

「コロナが怖いのは薬がないからだ」という意見があります。

いや、だから治療薬は承認されたって言ってんじゃん、と思うのですがそうおっしゃいます。
 

インフルエンザには良い薬がある。

コロナは未知のウイルスだから薬がない。だから怖い。
 

このような意見に、

良い薬やワクチンもあるインフルエンザで、毎年1000~3000人は死んでいる。

例えコロナの良い薬やワクチンができても、コロナで死ぬ人がゼロになるわけではない。

このように言ってもまったく聞く耳待ちません。
 

現に薬・ワクチンがあるインフルエンザでは死んでいないのだから。

薬・ワクチンさえあれば、インフルエンザと同じように「自分は」コロナで死ぬことはない、と思っているのでしょう。

でも、コロンには薬・ワクチンがないから怖い。
 

この

「インフルエンザでも死んでいる人がいる」派と、

「自分はインフルエンザでは死んでいない」派では、

これまた話しがかみ合うことはありません。

 

さらにワクチンが『免罪符』にもなります。

ワクチンさえ打っておけば、以前を同じように自由に活動してもいいと思っている人は絶対にいると思います。
 

だってインフルエンザがそうだから。

でもインフルエンザでわかるように、ワクチンを打とうが感染するときは感染します。
 

それでも社会がその免罪符を受け入れるわけです。

薬信仰ここに極まれり、です。
 

とはいえ、それでこのパニックが落ち着くなら一刻も早いワクチンの完成が待ち望まれます。

みんな自分のできることを精一杯やっている

政治家、感染症の専門家、医療従事者、飲食店、旅行業界などから個人にいたるまで。

不安をあおるだけのテレビでさえも、みんなみんな、自分のできることを精一杯やっている。
 

ただ、それぞれ立場がちがうから、その精一杯やっていることが上手くかみ合っていないだけ。
 

あちらを立てればこちらが立たず。

そんな状況ずっと続くと思います。
 

命は経済よりも大事

命は大事です。

そのため感染者をできるだけださないようにする、という基本路線はかわらないでしょう。
 

コロナで死んでしまう人をゼロにすることをあきらめてはいけない。

たとえ結果的に失業者が増えて自殺者が増えようとも。
 

「経済のためにコロナによる犠牲者はいたしかたない」というような考え方はこの社会では受け入れられません。

コロナで死んではいけないのです。
 

いまは「ワクチンの完成待ち」というのと、

「コロナが自然に終息するの待ち」という感じです。
 

ワクチンは早くて来年にはできる見通しです。

自然に終息するのはまったく未知数ですが、SARSを参考にすると1~2年。

もう最低でもこのくらいの期間はもとに戻ることはないでしょう。
 

責任を負うようなリーダー不在の日本社会。

みんなを立てて、とっちつかずで先送り。
 

『大衆心理』は津波や台風といった自然現象と似ています。

個人の力ではあらがうことができません。
 

命を最優先に、これから経済はジワジワと死んでいくと思います。

しょうがないです。

 

「経済の死」にまきこまれて僕の治療院も潰れてしまうかもしれません。

でもこれはもう社会現象です。

開き直ってこの状況でもなんとか生きていくしかありません。
 

とんでもない世の中になると思います。

経験したことのないような不景気、治安の悪化など。
 

第二次世界大戦のあとの焼け野原のような状況。

もう行き着くところまで行ってしまうと思います。
 

社会現象と化した新型コロナウイルス。

いい経験させてもらってると思いますよ、本当に。